2013年12月12日木曜日

知ることと生きること

死に急ぐ科学者魂』という記事を読みました。
http://www.cdb.riken.jp/emo/clm/clmj/1312j.html

「なぜに我々はおせっかいにも、世間の誤謬を糺そうとするのか。
それは名声や業績を求めるからでも、出世したいというのでもない。
金や名誉と似ているようで、何かが決定的に違う。」

本当にこの衝動は何故なんでしょうね?
名誉欲や承認欲求にも似ているけれども、何かが違うんですよね。
個人の欲求を越えたもっと普遍的な部分から出てくるもののような気がします。

その答えのヒントが、おなじみ野崎まどの『know』に書いてありました。

「《知る》と《生きる》は同じ現象ですよ」
「周りの物質を取り込んで代謝し、自己組織化し、物理法則に従ってエントロピーを増大させようとする物質を
生命法則に取り込んで秩序立てていく現象。それが生命です」
「《生きる》とは〈物質とエネルギーの自己組織化〉の過程を指す概念」
「《知る》とは〈情報の自己組織化〉を指す言葉です」
「〈物質の自己組織化〉《生きる》と〈情報の自己組織化〉《知る》は、私達人間存在の本質的な欲求です」


この論理が正しいとすれば、「死に急ぐ科学者魂」は誰よりも真摯に生きていると言えるのかもしれません。
誤謬で歪められて〈知る〉ことを妨げられることは殺されることと同義ですからね。
科学者は人類を救う真のヒーローなのかもしれません。

私ももっと〈知りたい〉と思いました。

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