2014年6月9日月曜日

人は他人を結構いい加減に認識してるらしい

髪の毛をものすごく短くして何日か経ちましたが、会う人会う人にいちいち髪切った理由を聞かれるので面倒くさくて、髪を切ったことを若干後悔しています。まあそろそろこの面倒臭さもなくなるでしょうけどね。それにしても、なぜほとんどの人が「なにかやらかした?」と聞くのでしょうか?

それはさておき、髪を切っておもしろい発見がありました。

断髪後に初めて会った人たちは、①なんとなく私を認識した後、②違和感を感じて凝視し、③髪の毛が短くなっていることにここで初めて気づき、④その変化に驚くんですよね。普通に挨拶したあとにハッと目を見開いて驚くという、このタイムラグというか、その過程がすごく面白いです。
それが数人ならまだしも、ほぼすべての人達が同じような反応を見せます。もちろん反応を控えめに抑える人や、まったく驚きを隠さず根掘り葉掘り理由を聞いてくる人もいますけど。

こういう反応を見て、改めて「人は見たいものしか見ていない」のだなと感じました。

まあ、逐一周囲の些細な変化に対応していてはキリがないし、多様な個々を同一の概念として認識することができるというのが人間特有の能力ですからね。なんとなく雰囲気で円滑にコトが進むならそれはそれで無問題ですからね。
まあ、日々の細やかな移ろいを感じることができる感性というのも憧れますけどね。


しかし、こういう意外といい加減な認識で普段のコミュニケーションが成り立っているというのはおもしろいなー。

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