2014年6月25日水曜日

ロボットに知性を持たせるならロボットに知性があると信じるだけでいいのかもしれない

ZOOKEEPER(1) (イブニングKC)



心理学の世界では知性=感情という考え方が優勢らしいですが、この感情を持っているということをどう判断すればいいのでしょうか?

例えば、植物には恐らく人間と同じような類の知性はなく、ただ単純に自然環境に対して物理的・生理的に定められたプログラムに従って粛々と反応していると私は考えているのですが、ある種の傾向のある人は植物には感情があり人間が愛情を持って接すれば反応してくれると考えており、こういう人にとっては植物に知性があることを疑わないわけです。

こう考えれば、ロボットが知性を持つか持たないかという話はロボット自体ではなく、ロボットを認識する人間側の問題になってくるような気がするのですがいかがでしょう?


思考は拡張して、アミニズムにおける神の成り立ちなんかも、自然に感情や知性を見出したところから発生したのかもしれないとか考えると、なんだか楽しくなってきました。


『ZOO KEEPER』という漫画で「動物と通じ合えると思うな。たまたまだ」という感じのセリフが象の回にありましたが、動植物に感情があったとしても、それは人間と違う概念だろうし違う回路を通るのがほとんどだろうと私も考えています。仮に動植物にも感情があり気持ちが通じ合ったという気がしても、それはごくたまたま感情の回路が一致したか、勝手に自分の感情を相手に投影しているだけに過ぎないと思っています。

こういう考え方は科学的思考には大切だと思っているのですが、、こういう身も蓋もない考えはあんまり美しくないし、面倒くさいし、流行らないからモテないのが難点ですね。

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