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2014年7月7日月曜日

よろこびやしあわせとしての学びを大切にしたいですよね。

先日、わくわくする学びの場を探求するという素晴らしいコンセプトの勉強会に参加してきました。
素敵な古民家の小さな一室で、適当に座って講義を聞くという寺子屋風でした。

今回は宇宙には果てがあるかというお話と、物理学者が学会で発表する内容を感じてみようという二本立てでした。

宇宙の話は本当に面白くて、果てがなくて、人の感覚では納得しがたいものがたくさんあるようです。それでも、人間が長い歴史の中で積み上げてきた科学の叡智を総合して論理で詰めていくとこういう風になるという科学の営みは聴いているだけで知的好奇心がガンガン刺激されるしあわせな時間でした。

2コマ目の物理解題と題された時間では、まず物理学者が学会で発表する内容をそのままダイジェストで発表し、あとから解説してみようという試みでした。やっぱり本物の専門家はすごかったです。「非可換空間上の重力理論におけるソリトン解について」なんてタイトルからし推測すらできません。日本語をしゃべっているのに全く理解できないけれどもなんだか面白そうなことをしゃべっているのがわかるという不思議な状況は初体験でした。


やっぱり勉強って面白いです。



2014年6月22日日曜日

スローフードって楽じゃない。手間ひまかけて、汗かいて。 だけど、そうやって辿り着いたひとくちには、本当の美味しさが満ちているのです。

タイトルはリトル・フォレストという漫画の作品紹介の一文です。
10年ほど前のちょっと古い漫画ですがとてもいい漫画なのです。

東北の田舎での自給自足的な生活を送る若い女性の食と日常を淡々と描いた漫画で、私はかなり気に入っているのですが、その漫画が今年の夏に映画化されるとのことです。映画版のサイトを覗いてみましたが、なかなか素敵な雰囲気で期待できそうですね。


さて、漫画読みの間では評価の高かった漫画ですので映画化されるのは不思議ではないのですが、なぜ10年も経った今なのかというのはちょっと気になります。

農業界隈に居ますと最近農業が注目されているような気がします。『銀の匙』や『のうりん』、『茄子 新装版』、『JA〜女子によるアグリカルチャー〜』など漫画だけでもいくつかの作品が最近出てきましたし、映画でも『ウッジョブ』が公開されたりしてますね。

こういう傾向を見ていると、田舎志向や自然回帰的な生活が求められてきているのかなと感じます。経済的な成長に限界を感じ、都会的な暮らしに息苦しさを感じる人が増えてきたことの反動なのかもしれませんね。

まあ、こういう作品は基本的にきれいな部分だけしか切り取らないので、実に魅力的に感じてしますが、現実にはやっぱり田舎には田舎なりの苦悩や息苦しさや問題があるわけで、遠くにあると大抵のものはきれいに見えるんだなと思いました。


ちなみに、私は「ぬてら」のエピソードが好きです。何回読んでも笑ってしまいます。


2014年6月9日月曜日

人は他人を結構いい加減に認識してるらしい

髪の毛をものすごく短くして何日か経ちましたが、会う人会う人にいちいち髪切った理由を聞かれるので面倒くさくて、髪を切ったことを若干後悔しています。まあそろそろこの面倒臭さもなくなるでしょうけどね。それにしても、なぜほとんどの人が「なにかやらかした?」と聞くのでしょうか?

それはさておき、髪を切っておもしろい発見がありました。

断髪後に初めて会った人たちは、①なんとなく私を認識した後、②違和感を感じて凝視し、③髪の毛が短くなっていることにここで初めて気づき、④その変化に驚くんですよね。普通に挨拶したあとにハッと目を見開いて驚くという、このタイムラグというか、その過程がすごく面白いです。
それが数人ならまだしも、ほぼすべての人達が同じような反応を見せます。もちろん反応を控えめに抑える人や、まったく驚きを隠さず根掘り葉掘り理由を聞いてくる人もいますけど。

こういう反応を見て、改めて「人は見たいものしか見ていない」のだなと感じました。

まあ、逐一周囲の些細な変化に対応していてはキリがないし、多様な個々を同一の概念として認識することができるというのが人間特有の能力ですからね。なんとなく雰囲気で円滑にコトが進むならそれはそれで無問題ですからね。
まあ、日々の細やかな移ろいを感じることができる感性というのも憧れますけどね。


しかし、こういう意外といい加減な認識で普段のコミュニケーションが成り立っているというのはおもしろいなー。

2014年6月5日木曜日

髪型と性格は結構リンクするかもしれない

一年半ほど伸ばしっぱなしにしていた髪型に飽きたので思いっきり切りました。
恥ずかしいので写真は載せませんが毛を刈られたアルパカくらい刈りました。
やっぱり短いと気持ちいいですね。風を頭皮で感じますね。

これまで何回かちょんまげが結えるくらい伸ばしたり、逆にスキンヘッドにしたりと割と髪型を大きく変えてるのですが、髪型が変わると性格というか心持ちも連動して変わる気がします。
少なくとも私の場合、髪を長く伸ばしてる時は割と保守的な性格になって慎重になるのですが、坊主に近いくらいに短いと割と積極的な性格になります。

髪型一つで性格が変わるし、それを通してみる世界も変わるんですよ。

人間って面白いですよね。

2014年6月1日日曜日

かないくん展と死と彼女とぼく



かないくん展に行きました。
谷川俊太郎が一晩で書き、松本大洋が2年かけて書いた絵本の原画展です。
小さな展示でしたがとても良かったです。

特にぐっときたのが下の写真にある黒板とノートなのですが、いろんな人が様々に死と向き合っていたのが印象的でした。

私は幸いな事にこれまで死と向き合う機会というのは祖母の時くらいだったのですが、祖母の時は気持ちの準備する期間が十分にありきちんと付き添うこともできたので、ごくごく当然のこととして受け止める事が出来ました。
しかし、ノートに書いている人の中には唐突に死と対面しなければならない状況に陥る人もいて、そういう人たちがどうにかして身近な死と折り合いをつけようとする過程が割と生々しくノートに綴られていました。そういう文章を読む中で、こういう風に無責任に匿名的に吐き出す機会が必要とされているということが、この企画展が支持される要因かもしれないと感じました。
黒板の方は割とカジュアルな死生観が書かれていて、特に小さな子どもは天国と地獄を信じているのに対し、大人は無になると考えている傾向があったのが面白かったです。
私はどう考えているのでしょうかね。無とは考えられないのですが、あんまり続いていくとも思えなくて、ぼんやりとどこかを漂うことになるようなイメージでしょうか。あんまり苦しいことはなさそうですが、あんまり楽しい感じでもない気がします。
うーん、あまり明確にイメージ出来ないのはまだ死を身近に感じられないからでしょうね。
だからこそ、まだ見慣れない死と向き合ういい機会でした。

ちなみにタイトルの『死と彼女とぼく』はとても素敵なホラー漫画ですが、あまり関係はありません。










2014年5月26日月曜日

違和感を感じないことへの違和感

100円朝食で学生応援 学食、習慣づけへ提供」という記事を見つけたのですが
この写真に違和感を感じませんか?

写真・図版



この朝食提供の目的は、規則正しい生活の習慣化や講義出席率の向上だから直接的には関係ないのですが、どうしても私は配膳の位置に無頓着なことが気になるのです。もっとお上品な言葉を選ぶなら、こういう無頓着さにイラっとするのです。

副菜の位置は諸説あるようですが、ご飯と汁物の位置は一般的に決まってますよね?さらに箸の位置もナイフやフォークじゃあるまいし横に置くってのもいかがなものかと感じるわけです。

そもそも食事の作法やら文化やら形式は、長い歴史の中で合理的な理由で洗練されてきたものであると私は考えています。それにも関わらず、それに無頓着であるというのはちょっとどうかと思うのですよ。
特に、新聞記事が公開されるということは、大学の広報から記者、編集部、印刷のような感じで、とても多くの人が関わっているはずなのに、この写真がスルーされるというのは気持ち悪いし残念だと思うのですよ。



大体こんな配置だと食べにくいと思うんですけどね〜

2014年5月21日水曜日

真の愛を知るために生きること

「神が愛と神が愛だと言うのなら、我々は神になるべきだ。さもなくば…我々人間はこれから先も永久に、真の愛を知らないままだ」


今日の特別講義の時に、講師の方に「あなたはなぜ生きているのですか」と問いかけられた時にぱっと思い浮かんだことが、『プラネテス』という漫画に出てくるセリフでした。

真の愛を知るために生きるというのは、私にとってかなり自然な考え方です。
この場合の愛が、何を指すかは人それぞれ解釈が違うと思いますが、私は真の愛とは全知であり、究極の到達点だと考えています。我々人間は神(=愛=全知)になるために命をつないできたんだと思います。そして私も人類が全知に近づくために生きているのだと思います。だからこそ科学コミュニケーションやコミュニケーションデザインに興味をもつのだろうし、無自覚に社会のリソースを浪費することに怒りを感じるのだと思います。

私たちが世界を正しく認識し、浪費していたリソースに方向性を与えることができたならば、それは人間を先に進めることができる大きな一歩になると信じているのです。そして、そのような確実な一歩を積み重ねていけば、私たち人間はいつか真実の愛にたどり着くのではないでしょうか。

だから私は一歩でも高く遠く進んだ世界を次の世代に引き継ぐために、頑張っているつもりなのですよ。

2014年5月17日土曜日

たくさんの点は線になって

最近いろんな点がつながってきたなーと感じています。

これまで随分寄り道をしてきましたが、その全てが意味のある点になってきた気がしてるような、そう信じたいような、そんな感じです。

そのうち、いくつもの線が円になって遠く彼方まで響いて、全てをつなげることができればいいなと思いました。

2014年5月4日日曜日

「安全」でも得られない「安心」 『安全と安心の科学』

この本は人間賛歌の物語だと思います。

人間の可能性を信じて、本当に安心できる安全な未来を目指すために、私たちは何ができるか。それを考えるために、小さいけれど確実なものを丁寧に丁寧に積み重ねていくその方法をこの本は教えてくれます。

人間のもつ「リスクに立ち向かう」営みを知って下さい。もちろん私たちの力は知れたものです。先の震災でも、毎日どこかで起こっている交通事故でも、そのことを思い知らされています。科学や技術は私たちに「絶対安全」を約束してはくれません。

それでも、全てを諦めるのではなく、できることを探し出し、一歩でも前進しようとすること、そして時に人間の力の卑小さと自然の力の大きさの前に頭を垂れること。

この繰り返しこそが、人類が刻んできた歴史そのものとも言えると思います。

私も、著者と同様に、人間のそうした存在の形を受け入れ、また信じたいと思います。



2014年5月3日土曜日

私たちは質の劣る高水準の暮らしを強いられている? 『美 「見えないものをみる」ということ』

『美 「見えないものをみる」ということ』とはどういうことでしょうか?

私たちはどんなものを美しいと感じるのでしょうか?

真善美という言葉がありますが、この3つの価値は全てが等価で必要十分なのでしょうか?

すべてのものごとがリッチであるためには、なにが必要なのでしょうか?


この本は、このような普段は意識しない、面倒くさくて考えない、万人が納得する答えが出しにくいことを考えさせられる本です。その過程は、日本人としての、世界市民としての、自分自身としてのアイデンティティを確認することでもあるような気がします。とても難しくて面倒でしんどい作業ですが、これからの世代を引き継いでいく者としての責任があると思うのです。


そんな中で、おそらくは正しいだろうとわかったことはあります。

それは「知」や「教養」といった、判断するための判断基準が絶対に必要だということです。

もちろん、そのような判断基準は一朝一夕には身に付きません。
どのように身に付ければいいかも検討がつきません。
そもそもどのような知や教養なのかすらわかりません。


Q:さて、そんな時はどうしましょう?

A:じゃあ、明日また考えよう Sleep it over.


2014年5月2日金曜日

何で、、、何でよりによって料理中のサンマがああ 『幻想ギネコクラシー』

この本は、「身も蓋もないお話を描かせたら当代随一」との帯の煽り文句にもあるように、本当に身も蓋もないお話ばっかりの漫画なんですけども、とてもいいんですよね。

他の作品もなかなか素晴らしいのですが、この作品は特にとても自由に楽しんで書いているということが伝わってきて、読んでるだけで楽しくなる漫画なのですよ。もちろん好き嫌いがありますし、この人のマンガ自体が一般受けはまずしないだろう作風なので、これもあんまりおすすめはしないのですが。それでもこの作品は、著者の魅力を凝縮した一冊だと断言できます。すべての方面に突き抜けてぶっ飛んで戻ってこれなくなった漫画です。


そんな全くおすすめできない漫画ですが、久しぶりにいい漫画を読んだなと不覚にも思ってしまったため、つい紹介してしまいました。

最後に、重ね重ね申し上げますが、この人の漫画は漫画読みにしかおすすめできません。青年漫画という表現に慣れていない初心者の方は決して手を出さないようにして下さい。不快になっても、深みにハマっても、責任は持てませんので。


幻想ギネコクラシー 1

2014年5月1日木曜日

フードを粗末に扱う、という最小の暴力で最大の悪人ぶりを表現できる 『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』

『ゴロツキはいつも食卓を襲う フード理論とステレオタイプフード50』は物語の演出として登場するフードが効率的に印象的に無意識的に鑑賞者をある方向へ導くという仮説を理論化し、もっと深く物語を味わおうと試みるという非常に興味深い考察をまとめた本です。


バナナの皮を踏んで滑って転ぶ、トーストを咥えて走ると曲がり角で素敵な異性とぶつかる、おっちょこちょいが膨らますガムは必ず割れて顔面に張り付くなどなど、どこで読んだか何で観たかは思い出せないけれども絶対知っていると思えるような食べもののシーンはありませんか?

著書ではこういう食べものや食事のシーンをステレオタイプフードと呼んでいますが、著者の提唱するフード理論にはそのステレオタイプフードが非常に重要な役割を果たすのです。


さて、フード理論は基本的に以下の3つの原則から成り立ちます。

1:善人は、フードをおいしそうに食べる
2:正体不明者は、フードを食べない
3:悪人は、フードを粗末に扱う

それぞれに科学と心に基づいた説得力のある論拠があるわけですが、それはぜひ本書を読んでみて納得してみてください。

この本を読むことで、これから鑑賞することになる全ての作品において、食べものや食事のシーンに見入らざるを得ないという呪いを受ける危険性はありますが、それ以上にそれぞれの作品に対する深い理解や感動を得ることができると思います。


2014年4月30日水曜日

憎くもないのに殴るって、すごく難しい。 『わたし、狩猟始めました』

わたし、狩猟始めました』は、都会で暮らす普通の女性が震災を機に生きることに向き合う過程で、生活としての狩猟を始めるまでの心の動きを丁寧に綴った本です。

少々情緒的すぎる部分も無いことはないですが、本当に普通の感性を持った女性が、生きている動物を殺し、解体し、食べるという一連の過程で感じたことを、過不足なく、押し付けがましくなく、ありのままに表現されています。


「自分の暮らしや幸せを人任せにしておくことが、どれだけ不安定で無責任なことか、痛感したのです」

という一節は、特に共感出来ました。

私もかつては狩猟免許を持っていたこともあったり、ニワトリやシカやウサギを自分で解体して食べたことがあります。また、農業経営者を目指しているので、農作物を自分で育てて食べるという過程も経験しています。

それらの経験から、自分の暮らしや幸せを、一部でも自分の手でつくり上げることができるという状態、せめてある程度自分のコントロール下にある状態であるということは、とても楽しいことでありとても気持ちが楽なのです。不安なことはたくさんありますが、最悪の状態に陥ってもなんとかなるだろうと思えるのです。

その意味で、一度ニワトリを自分の手で殺して食べるという経験は大切だと思います。普段は誰かが肩代わりしてくれているその負担を知ることで、他の人へのおもいやりやすべての生物に対する想像力に触れられるのではないでしょうか。

2014年4月29日火曜日

カオスな空間って全然悪くない



先日ニコニコ超会議3に行ってきました。

ニコニコ動画を地上に再現するというコンセプトなので、どんなにカオスな状況になるのかは代替想像がつくと思いますが、まあ本当にカオスです。

どう考えても発展性のないことにものすごいエネルギーを費やした作品なんかを見ていると、これらのエネルギーを集約して方向性を与えれば、世界なんて簡単に平和になっちゃうんじゃないかと思うんですが、多分方向性が制約されないからこそ発散させられるエネルギーなんでしょうね。
もったいない気もするけれども、多分使いようのないエネルギーであって、それならばこういう公然と発散できる場ってのは必要ですよね。


いずれにしても、共産党と在日米軍と非実在青少年とが同じ空間でニコニコできるお祭りってなかなか無いと思いますので、これからも世界平和のために続けてほしいと思います。まる






 

2014年4月28日月曜日

ニンジンを好んで食べる人は存在するか

先日マルシェでニンジンを売っていた時に思ったんですけど、

「あなたはニンジンを義務感で食べていませんか?」


というのも先日のニンジンは雪下人参という珍しいニンジンで、秋に収穫せずに雪の下で越冬させて春に収穫することで、ニンジン臭さが全くなくなり甘みだけが残るという不思議なニンジンなのです。

正直な所、私はあまりこのニンジンは好みではありません。ほのかにニンジンの香りがする甘いだけの野菜なんて別に食べなくてもいいかなと思うのです。ニンジンのクセがあってこそ甘みも引き立ちますし、ニンジンの存在意義や食べる意味が出てくると思うのです。売り文句は「ニンジン嫌いの子供でも食べられる」「クセがなくどんな料理にも合う」なんですが、ニンジン嫌いなら食べなくてもいいし、どんな料理にも使えるのならニンジンでなくてもいい気がするのです。カロテンとか食物繊維とか諸々のビタミンなら他の野菜でも代替できると思うのです。

そもそも「食べられる」「クセがない」と表現する時点で、元々ネガティブな評価があるという認識が内包されていませんか?そこには食べようとする積極性が感じられないのです。体にいいから、彩りがきれいだから。そんな理由でニンジンは消費されているような気がするのです。

サツマイモは「甘い、おいしい」という積極性が前面に発揮される作物であって、売り方も「甘い、おいしい」だけでも十分差別化できる気がします。だって、サツマイモも含めて、甘いモノって必要なくても食べたくなりませんか?

それに対して、ニンジンやコメやコマツナなどは、あんまりその積極性を多くの人が持っていない気がするのです。義務感からこれらの作物を食べている気がするのです。この辺が、「甘い、おいしい」だけでは差別化が難しく、消費者に選んでお金を出してもらうまでがとても大変な理由なんじゃないかなと感じました。


一番簡単なのは、値段を下げること。しかし、それじゃあ面白くないし、プライドを持ちにくい。というわけで、いかに価値を伝え見出してもらうかということが大切になってくるわけですが、これが一番難しいんだよなー。


2014年4月27日日曜日

代官山マルシェ 二日目 連敗記録更新

二日間のマルシェが終わりました。
今回で二回目の出店でしたが、色々と課題が見えてきました。

顧客がグッと来る商品の提案ももちろん課題は山積みなのですが、今回は特にサークルとしての今後の運営方針を決めなきゃいけないなということを責任者として参加して感じました。


商品を出す学生は、雀の涙程度ですが多少なりとも利益があるわけで、なにより自分の所の商品なので売るというモチベーションが高いわけです。もしくは、商品だけでも出せば、それなりに売り子が売ってくれるわけで、マルシェに参加し続けるハードルはものすごく低いのです。

それに対して売り子としてだけ参加する学生は、最初は売って消費者と直に接するという体験自体が報酬となるのですが、回数を重ねていく毎に慣れが生じて、だんだんと売るモチベーションが少なくなっていきそうな気がします。もちろん、毎回毎回、お客様毎に試行錯誤して対応を研鑽していくのでそれ自体の楽しさはあるのですが、休日を潰しての参加や成果に対する報酬のない状態はあまり長続きするようには思えません。


生産者目線から見ると、小売は仕入れてただ売るだけなのにマージンを取り過ぎだと思えた時もありましたが、小売の目線で見ると、それなりの対価がないと人の商品なんて売れないよなーというのが実感でした。




2014年4月26日土曜日

代官山マルシェ 一日目 絶賛連敗中

代官山マルシェに参加してきました。

先月に引き続き、学生有志での参加です。
私は農家のこせがれではないので売り子としての参加でした。


いやー、それにしても売るのってとっても難しい。前回でも痛感させられて、今回もそれにできる限りの対応をしてきたつもりですが、やっぱりマルシェはそんなに甘くなかった。
もちろん売るのが難しいということはわかっていたことなんですが、それでも体験するとなかなか精神にきますね。

私とは違う価値観を持つ人たちにどうやって私の価値観をわかってもらうか、どうやって私の価値観を伝えるか、受け止めてもらえるか、というのが大事なんだと思います。

ある意味ではエゴの押し付けを、いかに雅に、いかにエレガントに、抵抗なく、まるで自分から進んで受け入れたかのように錯覚させることができることを目指すべきなんでしょうね。


さてさて、課題は山積みですが、明日も元気に試行錯誤でもがいてみましょう。





2014年4月25日金曜日

世の中のど真ん中という感覚が大事なのです

コピーライティング講座というものに無料で参加できるという情報を入手したので、授業終了後に参加してきました。

現役バリバリのコピーライターの方々が講義をしてくださるというなかなか贅沢な講座で、2時間という短い間でしたが、とても勉強になりました。


特に印象に残ったのが

自分の好きなものではなく、良いものを選ぶこと。
良いものとは、世の中の8割が共感してくれるであろう常識に則ったもの。

ということでした。

自分でつくったコピーはとても可愛くてなかなか客観的に評価するのが難しいのですが、プロの方々は幽体離脱と時間を置くことでそれに対応しているそうです。


「ものごとを整理し、言葉でまとめ上げる力」は今、私が最も必要としている能力だと思っています。
一朝一夕には身につかない能力ですが、訓練しだいである程度は上達するそうなので、頑張ります。

2014年4月24日木曜日

不思議な見た目の魚はうまいかまずいか両極端のような気がする

この生物をご存じですか?



ヤガラという魚です。頭だけです。
これまでちゃんとヤガラ味わったことがなかったので手に入れてきました。
もちろん頭以外も付いてますよ?

さばくのはそんなに難しくもないですが、くちばしが長いだけあってちょっと歩留まりが悪いという印象。関西方面では高級魚として扱われているようですが、関東ではあんまり知った人がいないようでそんなに高くはないようです。
それにしても、不思議な外見ですよね。

さてさて、早速刺し身と潮汁で食べてみましたが、これがすごくおいしい。上品な白身で脂がしっかりのっていて、このグロテスクな魚が珍重される理由が分かりました。

魚も知らないことだらけで面白いなー。



2014年4月23日水曜日

しらすモンスター

シラスはカタクチイワシの稚魚がほとんどらしいのですが、実際には色々な生物が混じっています。

今回はエビとタコ、それに何の稚魚かもわからないレプトケファルスが入っていました。それぞれを味わうと違いがわかって面白いですが、大抵は1%(当社調べ)程度しか混入していないのでほとんシラスの味しかわからないと思います。

こういうのは味ではなく発掘する喜びや楽しさってのが提供できる価値なんでしょうね。