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2014年6月25日水曜日

ロボットに知性を持たせるならロボットに知性があると信じるだけでいいのかもしれない

ZOOKEEPER(1) (イブニングKC)



心理学の世界では知性=感情という考え方が優勢らしいですが、この感情を持っているということをどう判断すればいいのでしょうか?

例えば、植物には恐らく人間と同じような類の知性はなく、ただ単純に自然環境に対して物理的・生理的に定められたプログラムに従って粛々と反応していると私は考えているのですが、ある種の傾向のある人は植物には感情があり人間が愛情を持って接すれば反応してくれると考えており、こういう人にとっては植物に知性があることを疑わないわけです。

こう考えれば、ロボットが知性を持つか持たないかという話はロボット自体ではなく、ロボットを認識する人間側の問題になってくるような気がするのですがいかがでしょう?


思考は拡張して、アミニズムにおける神の成り立ちなんかも、自然に感情や知性を見出したところから発生したのかもしれないとか考えると、なんだか楽しくなってきました。


『ZOO KEEPER』という漫画で「動物と通じ合えると思うな。たまたまだ」という感じのセリフが象の回にありましたが、動植物に感情があったとしても、それは人間と違う概念だろうし違う回路を通るのがほとんどだろうと私も考えています。仮に動植物にも感情があり気持ちが通じ合ったという気がしても、それはごくたまたま感情の回路が一致したか、勝手に自分の感情を相手に投影しているだけに過ぎないと思っています。

こういう考え方は科学的思考には大切だと思っているのですが、、こういう身も蓋もない考えはあんまり美しくないし、面倒くさいし、流行らないからモテないのが難点ですね。

2014年5月28日水曜日

考えよう。素晴らしい言葉がパッとひらめくほど、僕らは天才ではない。 『言葉の技術』



薄っぺらいと見せかけていい本でした。



この本は現役のコピーライターの方が書いたコピーの書き方の本です。
この本を要約すればタイトル通り「考えろ」の一言です。


僕らは、僕ら自身のオリジナルな言葉を探すには忙しすぎる毎日を送っています。だからこそ、オリジナルな言葉を時間をかけて探すコピーライターという商売が成り立つのだと思います。

本当は、タイトルに言葉の“技術”とあるように、コピーをつくるにはいくつかの方法というかテクニックがあって、時間さえかけてじっくりと考えることができれば、ちゃんと相手に届く言葉を見つけることができるはずなのです。“技術”なので訓練次第で言葉は、コピーはある程度まで上達するはずなのです。

でも、現実にはそんな時間はないし、ネットには沢山のそれっぽい言葉が溢れているので、ついついパッと思い浮かんだ、それっぽい、薄っぺらい言葉しか見つけられないことに絶望し、伝えることを諦めてしまうか、独り善がりになってしまうか、さっさとプロに任せてしまいます。

それが悪いこととはいいませんが、実際にやってみてわかりましたが、コピーをつくるということは結構楽しいものです。特に、届けたい人のことを考えて考えて、良いものができたらとても嬉しいのです。


さて、最後にコピーをつくるにあたってのヒントですが、
この本の最後に書いてありますが、コミュニケーションの要は送り手ではなく受け手であり、どういうリアクションをしてもらいたいのかを考えることが大事なのです。

最終的な目標は、言葉によって人と人との良い関係をつくることであり、そういうことを自覚していれば、何かに固執することもなくなり、自由にコピーをつくることができると思いました。











2014年5月14日水曜日

やっと世間が野崎まどに追い付いてきました

品川のあおい書店で野崎まどフェアやってました!

好きな作家が推されてると嬉しいですね!

というわけでちょっとそれぞれについて一言紹介を。
そのうち全部についてじっくり紹介したいですね。
ちなみに順番は出版順です。


『[映]アムリタ』
映画を作る大学生の話。と見せかけたSF的ホラー小説。
最後のシーンなんて何度読んでも背筋が寒くなります。

『舞面真面と仮面の女』
遺産をめぐるミステリー小説。って書くと面白くなさそうですね。
でも野崎まどお得意の大どんでん返しが楽しめます。

『死なない生徒殺人事件』
永遠の命をもつ女子学生をめぐるミステリー。
何のために永遠に生きましょうか?

『小説家の作り方』
創作とはなにかに迫るSF。じゃなくてやっぱりラノベですね。
作者のキャラ理論が面白いです。

『パーフェクトフレンド』
友達ってなんだろうと考えさせられるラノベ。
友達も魔法も悪魔も同じカテゴリーなのですよ。

『2』
この世で一番面白い映画を作るお話。
と見せかけて実は単なる壮大な恋愛小説だったと3回位読んで気づきました。
上記5冊を読んでいないと十分に楽しめない鬼畜仕様なのでお気をつけ下さい。
野崎まど第一部完。

『なにかのご縁』
野崎まどの新境地、通称白まど。なにが白いかは読んでからのお楽しみ。
ふわふわしたファンタジーも書いてしまう著者の幅の広さには驚愕。

『野崎まど劇場』
真剣にふざけた短篇集。AA使った小説はじめて見ました。
個人的に没作品集が好き。

『know』
ハヤカワ文庫から出版のSF小説。評価もかなり高いようです。
最後の一文が秀逸なんですよ。

『ファンタジスタドール イヴ』
一応、萌系アニメのノベライズ版。でも本作には萌え要素は全くなし。
これ読んでもどんなアニメか全然想像できません。



2014年5月4日日曜日

「安全」でも得られない「安心」 『安全と安心の科学』

この本は人間賛歌の物語だと思います。

人間の可能性を信じて、本当に安心できる安全な未来を目指すために、私たちは何ができるか。それを考えるために、小さいけれど確実なものを丁寧に丁寧に積み重ねていくその方法をこの本は教えてくれます。

人間のもつ「リスクに立ち向かう」営みを知って下さい。もちろん私たちの力は知れたものです。先の震災でも、毎日どこかで起こっている交通事故でも、そのことを思い知らされています。科学や技術は私たちに「絶対安全」を約束してはくれません。

それでも、全てを諦めるのではなく、できることを探し出し、一歩でも前進しようとすること、そして時に人間の力の卑小さと自然の力の大きさの前に頭を垂れること。

この繰り返しこそが、人類が刻んできた歴史そのものとも言えると思います。

私も、著者と同様に、人間のそうした存在の形を受け入れ、また信じたいと思います。



2014年5月3日土曜日

私たちは質の劣る高水準の暮らしを強いられている? 『美 「見えないものをみる」ということ』

『美 「見えないものをみる」ということ』とはどういうことでしょうか?

私たちはどんなものを美しいと感じるのでしょうか?

真善美という言葉がありますが、この3つの価値は全てが等価で必要十分なのでしょうか?

すべてのものごとがリッチであるためには、なにが必要なのでしょうか?


この本は、このような普段は意識しない、面倒くさくて考えない、万人が納得する答えが出しにくいことを考えさせられる本です。その過程は、日本人としての、世界市民としての、自分自身としてのアイデンティティを確認することでもあるような気がします。とても難しくて面倒でしんどい作業ですが、これからの世代を引き継いでいく者としての責任があると思うのです。


そんな中で、おそらくは正しいだろうとわかったことはあります。

それは「知」や「教養」といった、判断するための判断基準が絶対に必要だということです。

もちろん、そのような判断基準は一朝一夕には身に付きません。
どのように身に付ければいいかも検討がつきません。
そもそもどのような知や教養なのかすらわかりません。


Q:さて、そんな時はどうしましょう?

A:じゃあ、明日また考えよう Sleep it over.


2014年4月20日日曜日

農業簿記検定の結果が出ました!

先日受けてきた罷業簿記検定3級の結果が届きましたよ。


結果はほぼ予想通りの合格でした。
25問中の22問正解なので悪くはないですね。計算問題さえしっかりできれば3級はほぼ合格できそうな印象でした。

でも、大事なのは合格することじゃなくて簿記の考え方を経営に反映させることですからね。こんなところで満足してるわけにはいきません。

というわけで稲森さんの『実学』を改めて読み直してみたいと思います。


2014年4月15日火曜日

「食べもの」の本質は関係性 『まんがキッチン』

『まんがキッチン』は食べものという視点から名作少女漫画を読み解くという面白い試みの本なのですが、ここに取り上げられているマンガを全部読んでみたくなりますし、今度からはどんな物語であっても食べものが登場したら最後、その意味を考えずにはいられなくなるという呪いをかけられる危険な本でもあります。

個々の作品の解説や登場する食べものからの深い洞察はとても刺激的で腑に落ちるものなのですが、今回は後半の対談に登場する「食べものの本質は関係性」という著者の意見について考えてみます。

お菓子研究家でもある著者の福田里香さんは漫画家の羽海野チカさんとの対談で
「私は、食べものをおいしいと思う気持ちの80%くらいは結局勘違いと気のせいだと思うんですよね。(中略)。「食べもの」の本質は関係性なんだと思います。」
と言っていますが、この言葉は農業経営者にとってはある意味で呪いのように機能するかもしれません。

人にとっての食べものとは、純粋な味だけで味わうことはできないものであり、関係性の中でのみ味わうことができるものだとするならば、より善いものを生産しようとする努力は本当に意味があるのでしょうか。
もちろんその努力や手間暇自体が関係性を育み、おいしさとして作用する可能性はもちろんあると思います。しかし、大した手間がかけられていない食べものであっても豊かな関係性によっておいしくなるという可能性も当然考えられますし、ある意味では絶対的においしいものを生産することよりもおいしいと感じさせる関係性をつくる方が早いし簡単であるということを考えると、農業経営者としては関係づくりに注力した方がより効率的に消費者に価値を届けることができるのかもしれません。

このことはある意味で、生産努力の否定となるのかもしれません。

もちろん両方を向上させることを目指すのが一番なのですが、私も80%くらいは人間は頭で食べていると思っているので、どちらか選択することを迫られたら、恐らく私はコンヴィヴィアリティを目指すのだろうと思いました。


2014年4月1日火曜日

この夢はとってもデンジャラス 『パプリカ』

パプリカ (新潮文庫)

 『パプリカ』は筒井康隆が1993年に発表したSF?ミステリー?小説ですが、恐ろしいことに今でも地味に売れ続けているそうです。夢と現実が入れ子のように入り混じるお話で、終盤のカオスっぷりはいかにも筒井康隆でした。

 『パプリカ』は映像化もされていて、このカオスな話をよく映像化したなと思えるくらい見事な画になっています。わたしはこの映画版が結構好きで、正直何を伝えたいのかよくわからないのですが、とても映像が綺麗で、エンディングの「白虎野の娘」という曲もとても良くて、何度もちょこちょこ観てるんですよね。映画版はなぜかYoutubeに丸ごと落ちているので探すことができれば観れますよ。


 レビューとは全く関係ないのですが、小説版の方に面白い描写がありました。
「敦子の眼に記者たちは、若く美しい千葉敦子という女性に、自分たち以上の知性を求めていないように見えた」
「彼らは敦子から何かを教わることを嫌い、ただひたすら、なんとかして敦子の中から伝統的な日本女性らしさを引き出そうと苦心しているようであった」
 なんだかSTAP細胞の小保方さんを思い出しませんか?

2014年3月15日土曜日

現状では実現できなそうだからって、未来もそうだと決めつけるのは無意味だ。 『ゼロからトースターを作ってみた』

『ゼロからトースターを作ってみた』は文字通り、自然に存在している材料を調達して(例えば鉄鉱石を鉱山から掘り出して)部品を作り、その部品でトースターを作ろうという無謀で無茶で無策な挑戦の記録です。もちろん、厳密にゼロから作ろうとしたら宇宙を想像するところから始めなきゃなりませんので、一般的な道具は使用可などのルールを設けてはいましたが、だからといってこの挑戦が馬鹿馬鹿しく馬鹿なことには変わりがありません。

いきなりネタバレしますが、表紙にはとろけたチーズがかかったような黄色い四角い物体の写真が載っており、これこそがその挑戦の結果です。

どこからどう見てもトースターには見えない、不細工で不格好で不気味なこの代物を笑うことは簡単ですし、向こう見ずで世間知らずで後先考えないこの若者を馬鹿にしたくなるのは自然ですが、ちょっとだけ想像力を働かせてみれば、全然笑えないし不自然なんですよね。

私たちの身の回りにあるもので、本当に文字通り英語で言うところの“from scratch”で作れるものってどれだけあるんでしょう?例えば、今私が向かっているChromebookの隣にはメモ帳が置いてあるわけですが、このメモ帳一つとってもとても私には作ることができそうにありません。メモ帳どころかそれの材料である白い紙すら、木からパルプをとって漉くことができたとしても、とてもこんなに薄く綺麗にできる気がしません。
それなのにそんな紙が二束三文で手に入るという不思議。

さて、このコストは一体誰が負担しているんでしょうか?
それとも負担することを先延ばしにしてるのでしょうか?
それともこんなことはコストですら無いのでしょうか?


現代社会は全く不可解ですな。

2014年3月4日火曜日

おもいで、さすらい、かりそめ、まろうど、ゆきずり、うたかた

ずっと気になっていた『おもいでエマノン』を読みました。
方々での評価が高いだけあってやはりすごくいい漫画でした。
古き良き時代のSFって感じでちょっと筒井康隆の『時をかける少女』を思い出しました。


さて、先日の記事に書いたように
勉強しっぱなしのストレス解消のために他にも漫画を色々買い溜めていたのですが
なんと他の全く関係ない短篇集にエマノンがキーになる作品が出てきたのです。

さてさて、このシンクロニティはどう解釈すればいいのでしょうかね?


2014年3月2日日曜日

自由になったら漫画を読もう

ここ一ヶ月はゼミの発表会に備えてずっと準備していたので
漫画を読む暇もなく溜まりに溜まっておりました。

しかし、その発表会も無事に終わり今日から存分に読めるわけですよ。
好きな漫画が読める以上の幸せってなかなかないですよね。


2014年2月5日水曜日

諦め力

最近科学や信仰やニセ科学についてよく考えている関係で
kikumaco先生こと菊池誠さんの本を読んでいます。

特に今日読んだ『科学と神秘のあいだ』はとても面白く
いろいろなことを考えさせられました。

その中でも「納得力」という節がグッときました。

誰かを論理で説得する必要がある場合、
論理を語る側に説得力があるだけでは足りなくて
語られる側にも相応の納得力が必要なんだろうというお話です。

確かに、説得力があるように思えるけれども
あいつの顔が気に食わないから納得出来ないという類のことは
割としょっちゅうある話ですよね。

さらにそこから発展して
荒唐無稽な妄想力と遺憾なく発揮されたありあまる納得力とが一緒になった場合
手に負えなくなることがあるということも十分に想像できる話です。
そこに正義感や善意なんてものが加わっちゃったら本当にお手上げで
科学が積み重ねてきた説得力なんて全く意味を持たなくなっちゃいます。

そこで思い出して欲しいのは
希望は持つもので、事実は受け止めるものということです。
その折り合いをつけるのに必要なものが諦め力なんじゃないかなと思いました。

希望を裏切る事実を諦めることで受け入れることができますし
受け入れることができればしぶしぶながらも納得できるでしょう。

こういう訓練って結構大事なんじゃないかなと思った次第です。


科学と神秘のあいだ(双書Zero)

2014年1月9日木曜日

誰も読まない本の価値

面白い記事を見つけました。

ぜひ「初めての読者」に 苫小牧市立中央図書館「誰も読んでない本フェア」」北海道新聞より

記事によると、30年間一度も貸し出しが無かった本も含まれているとのことです。

1人の人間が一生の間に本を読むことに費やすことができる時間に対して
現実的に入手可能な本だけに限っても何十倍も何千倍もあるわけで
30年間誰にも読まれなかったとしてもそのことが本の価値を貶めるわけではないし
ましてや図書館の責任でも税金の無駄遣いでもないと思います。

図書館に本があるということはこれから誰でも読むことができるという可能性であって
それだけで十分に価値のあることだと思います。

こういう類の無駄こそ大切にしていかねばならないのではないでしょうか。

2013年12月22日日曜日

冬至の日は元旦なのです

今日は冬至でしたね。
一年で最も夜が長く昼が短い日です。
つまり闇の世界の終わりであり光の世界の始まりである日なのです。
陰極まって陽と成る日なのです。
例の叛逆の物語でもあります。

そんな日に私の神道の師匠に誘っていただき明治神宮に初詣して参りました。
これは体験した人にしか伝わらないと思うのですが本当にすごかったです。
今日は朝から晩まで一緒に居させていただき非常に楽しく過ごしました。

この縁をこれからも大切にして生きたいと思います。




2013年12月12日木曜日

知ることと生きること

死に急ぐ科学者魂』という記事を読みました。
http://www.cdb.riken.jp/emo/clm/clmj/1312j.html

「なぜに我々はおせっかいにも、世間の誤謬を糺そうとするのか。
それは名声や業績を求めるからでも、出世したいというのでもない。
金や名誉と似ているようで、何かが決定的に違う。」

本当にこの衝動は何故なんでしょうね?
名誉欲や承認欲求にも似ているけれども、何かが違うんですよね。
個人の欲求を越えたもっと普遍的な部分から出てくるもののような気がします。

その答えのヒントが、おなじみ野崎まどの『know』に書いてありました。

「《知る》と《生きる》は同じ現象ですよ」
「周りの物質を取り込んで代謝し、自己組織化し、物理法則に従ってエントロピーを増大させようとする物質を
生命法則に取り込んで秩序立てていく現象。それが生命です」
「《生きる》とは〈物質とエネルギーの自己組織化〉の過程を指す概念」
「《知る》とは〈情報の自己組織化〉を指す言葉です」
「〈物質の自己組織化〉《生きる》と〈情報の自己組織化〉《知る》は、私達人間存在の本質的な欲求です」


この論理が正しいとすれば、「死に急ぐ科学者魂」は誰よりも真摯に生きていると言えるのかもしれません。
誤謬で歪められて〈知る〉ことを妨げられることは殺されることと同義ですからね。
科学者は人類を救う真のヒーローなのかもしれません。

私ももっと〈知りたい〉と思いました。

2013年12月11日水曜日

友達方程式における友達係数はf=3.323018

友達のいる人生はとても豊かです。

今日は11年ぶりに高校の同級生と会いました。
お互い全く成長していませんでした。変ったことと言えば合法的にお酒が飲めることくらいでしょうか。
それ以外は精神構造も馬鹿話で延々と楽しめることも高校生の頃と変っていませんでした。
それでも地球は律儀に回っていて、時間も止まりもせず戻りもせず、ちゃんと11年分時間が過ぎていました。
今更振り返って、思えば遠くにきたもんだ、ってのを肌で実感しましたよ。

本当に友達のいる人生は豊かだし、友達は素晴らしいと思いました。


悪魔や魔法が素晴らしいのは、あらゆることを想像できて、あらゆることを仮定できるからです。
悪魔や魔法は無限のエレメントを内包してるんですよ。
論理の外にあるからこそ、論理の通用しない物全てを包括することができるんです。

そして私たちはもう知っていますよね。
悪魔なんか魔法なんか仮定しなくても想像しなくても、誰もが知っていて、誰もが持っていて、
とても普遍的で非論理的で反利害的で超経済的な存在を。

問:友達とは何か
答:非論理的で反利害的で超経済的な、人の理解を越えた存在
問:なぜ友達が必要か
答:人が無限の世界を手にするため


引用:野崎まど著『パーフェクトフレンド

2013年12月9日月曜日

好き好き大好き超愛してる。ということ 

「愛は祈りだ。僕は祈る。」という魅力的な文で始まる
舞城王太郎さんの『好き好き大好き超愛してる』を再読しました。



実は私はこの小説が大好きで4、5回くらい読み返しています。
短くてリズムがあって一気読みしやすいということもあるのですが。

この本は「愛するということ」についてこれでもかというくらいの勢いで書かれています。
本当は最初と最後の2ページを読めば愛についての主張が十分理解できますし
物語の構造がちょっとわかりにくいので余計何がいいたいのか理解しにくくなりそうですし
セカイ系とかセカチューちっくな展開はそれだけで拒否反応を起こす人がいそうなんですが
それでも大丈夫と思える人はきっとこの本を気に入ってもらえると思います。
ただただ真剣に「好き」や「愛してる」に向き合った素晴らしい作品なのです。

愛は祈りで、物語も祈りです。
ということは物語は愛ですし、物語ることは愛することに他ならないわけです。
そもそも物語は過去について起こらなかったことや起こってほしかったことについて
祈った結果でもあるのです。
だから物語るという行為は祈りであり、それは過去に対する希望であり、
同時に未来に対しても希望であり、つまりは愛なのです。

うん、何言ってるかわからない。
でもまあこの本を一気に読んだらどうなるかという見本にはなりましょう。
そうなるように僕も祈ろう。

さて次は例のアレにとりかかるかな。

"THE ART OF LOVE LOVE LOVE YOU I LOVE YOU" is the END!

2013年12月8日日曜日

アマゾン先生には大変お世話になっております

最近は本を読むのに忙しくて本読む暇がないくらい本読んでます。
それでも読む本は無くならない。
欲しい本が際限なくあってついつい勉強だからと言い訳をしてポチってしまいます。

まあ、でも本は読まなくても誰かが買うことで絶版を免れますし
絶版にならなければ次世代が手軽に入手できるようになりますんで
積ん読も決して無駄ではないのです!
いや私はちゃんと読んでますけどね?



2013年12月3日火曜日

世の中にはふたつのものしかないっ。役に立つものと…

九井諒子さんの漫画を二冊買いました。




半年程前に『ひきだしにテラリウム』を偶然見つけて読んで以来ずっと気になってたのです。
この人の漫画をひと言でいうなら「とても巧い」でしょうか。
絵柄の書き分けとか斜め上の発想とかわかりやすい巧さもあるんですけど
なによりごく自然に漫画という表現手段を使いこなしているというかそんな印象を受けるのです。
記号を食べる」を読んでいただければなんとなくお解りいただけるでしょうか。


でもなにより私が気に入ったのは境界線をすんなりと当たり前のように越えてみせる所です。

この人の作品はファンタジーが多いのですが、ファンタジーだけあって竜やら魔王やらケンタウロスやら
天使やら人魚やら狼男やら超能力家族やらが出てきますが、それらがごく自然に世界と共存しているのです。
ファンタジーなら当たり前じゃないかと思われるかもしれませんが、これが本当に違和感無く存在しているのですよ。
あまりにも自然すぎてファンタジックでない現実がフィクションに思えるくらいです。

うーん、でもこの感覚は読んでもらわないとやっぱり解らないかもしれません。

なので絶対に損はしませんから3冊のうちのどれかを買って読んでみてください。
本の装丁も凝っていて色々発見があって楽しめます。
『ひきだしにテラリウム』が一番読みやすく楽しめると思います。
ちなみに私は『竜の学校は山の上』の「現代神話」と「竜の学校は山の上」がお気に入りです。



杞憂だとは思いますが、
この本を買って読んで損したと思ったのならそれはもう漫画を読む才能がないということなので
金輪際漫画を読もうなどとゆめゆめ思わない方がいいと思われます。

2013年11月26日火曜日

もしも果てが見えたなら

野崎まどの『2』を再読しました。

この本はただの恋愛小説です。
ラノベですしミステリーだかSFだかホラーだかラブコメだか分類が難しいですし、そもそもこの本を読むためにはデビュー作の『[映]アムリタ』から『2』までの著書5冊を読んでおかないと十分に理解できないし楽しめないという鬼畜仕様ですし、ものすごくハードルが高いのですが、そのハードルを越えるとそこには多分あなたがみたことのない世界が広がっているんですよ。

ちょっとネタバレになるんですが
この本はジブリの「風立ちぬ」に一番近いんじゃないかなと思うんですよね。
「風立ちぬ」は空を飛ぶことというきれいなものだけを追い続けた男とそれを支える女を限りなくきれいに描いた狂気の恋愛ものじゃないですか。
この本もまさにそれで、男と女の立場は逆なんですが、究極の映画を作る女とそれを献身的に支える男の話なんですよね。こう書くとなんだか大したことないですが、本当に「風立ちぬ」レベルで見事に狂気の所行なんですよね。でもそれがとても美しいと思えてしまうのです。
そしてそんなストーリーを考えた作者は頭おかしいと思ってしまいます。『野崎まど劇場』を読めば頭がおかしいんだと確信します。



まあいずれにせよ、この本はただの恋愛小説ですが、とびっきりの恋愛小説です。
ぜひ読んでみてください。絶対損はしません。